長く助走をとった方が より遠くへ飛べるって聞いた

昔から,ドラマや映画では号泣するくせに,リアルな出来事では涙を流さずに暮らしてきた。その代わり,どんな状況も「言葉」を使って乗り越えてきた。悲しいときも嬉しいときも,それをきちんと文章にできると,自分のものにできたような気がした。


アイドルを硬く語ろう。


このブログのモットーも,そんな考え方を反映したものだ。KAT-TUNのデビューを知ったとき,そう決めた。それが,私らしいと思った。ありがたいことに,<亀梨和也>というアイドル,もしくは彼を含む<KAT-TUN>というグループは,そういう遊びを許してくれる存在で,しかも本当に語りがいのある対象だった。だからこそ,ライブでも舞台でも,時にはネガティブな出来事さえも,たくさんの言葉と理屈を使って表現してきた。


なのに,今回だけは,それができなかった。
涙も出ない代わりに,言葉も出ない。何か表現しようとしても,すぐに頭の中が真っ白になってしまう。何をどのように書けば前へ進めるのかがさっぱりわからなかった。それに,彼らの映像や歌声と向き合うのが思いのほか難しかった。彼らの姿が目に入るたびに,胸が痛んだ。
前に進めないどころか,後ろを振り返ることさえ許されない。


こんな経験,生まれて初めてだった。
大切な何かを失うってこういうことなんだな。そんなあたりまえのことに,この歳になって気づかされた気がする。


でも,ここで立ち止まるわけにはいかない。だから,書こうと思う。誰のためでもなく,ただ自分のために。


ドラマのエンドロールをぼんやり眺めながら,軽く「ヤバいな」と思った。そして,「軽く」程度だったはずの気持ちとは裏腹に,テレビの前から動けずにいた。


...KAT-TUNじゃない。


感じていたのは,そんなシンプルなことだった。聴こえてくるのは,確かに聴きなれた歌声だった。エンドロールにも,確かに「主題歌:KAT-TUN」とあった。なのに,どうしてもKAT-TUNだと思えなかった。


「軽くヤバい」どころではなかった。シンプルなだけに,致命的だった。


5人とも本当に丁寧に歌っているのがわかって,特に歌いだしの亀ちゃんがすごく気持ちをこめているのが伝わってきて,よけい暗澹たる気持ちになった。そんな入魂のパフォーマンスに対して「KAT-TUNじゃない」と感じてしまうことは,彼らに対して本当に失礼だということに気づいたから。


仁さんの不在を声高に叫べば,頑張っている5人を傷つけることになる。でも,5人の活動を認めてしまうと,それは仁さんの不在を受け入れたことになってしまう。KAT-TUNのパフォーマンスを今までのように無邪気に楽しむことは,当分できそうにない。
同じようなことはメンバーにも言えると思う。KAT-TUNがグループとして成長するということは,5人でバランスをとることを意味する。それを直視できるのかどうかについては,あまり自信がない。でも,いつまでも仁さんの不在を意識させるようなやり方をしていたら,KAT-TUNの周りだけ時間が止まってしまうことになる。それもまた,あまり良いことだとは思えない。仁さんの居場所を残しながら,KAT-TUNが今までのようにグループとしての存在感を示していくというのは,本当に難しいことだ。
残りのメンバーもファンも,途方もなく重く大きい十字架を背負わされてしまったものだと思う。


ただ,きっとKAT-TUNはすごいグループになるんだよ,と思ってもいる。このピンチをクリアできたら,きっと彼らはすごく大きくなれる。
仁さんの下した決断に対しても,何の違和感も感じていない。いろんな経験をつみながら,最終的に戻ってきてくれたらいいなと思っている。誰かに言われてではなくて,自らの意思でKAT-TUNというグループに戻ってきてくれたらいいなと思っている。
この世の中に,無駄なものなんて一つもないはずだから。


先ほど,あらためて「たったひとつの恋」の主題歌を聴いた。
やっぱり,KAT-TUNじゃなかった。
...でも,これがリアル。KAT-TUNファンとしての私にとっての,これがリアル。
亀ちゃん,じゅんの,聖,上ぼ,ゆっち,きれいな歌声だったよ。