KAT-TUNらしさって何だろう

自分で言うのもなんですが,昨日のエントリはわけのわからない文章になってますねぇ...(反省)
半分寝ながらケータイで書いたので,ヤバいよねぇとは思っていましたが,うん,本当にマズい。どうにもカッコ悪いですが,つけたしっていうか,書き直しっていうかをさせてください。


けっこう節目節目で,曲が思い浮かぶタイプなんです,私。あるフレーズが自分の気持ちにぴったりだなと思い当たると,そのフレーズが脳内でエンドレスリピート...っていうパターンがすごく多くて,例えば,仁さんが留学した10月にずっと頭の中でなっていたのは,ミスチルの「星になれたら」でした。「長く助走をとったほうがより遠くへ飛べるって聞いた」っていう,あの曲です。


今回の仁さんの帰国は,私の中ではむっちゃくちゃ大きな出来事で,本当なら何か曲が思い浮かぶはず。ところが,あまりに驚きすぎたというか嬉しすぎたというか,頭が真っ白になっちゃってですね,ちっとも思い浮かばなかったんです。


でも,6人揃った「喜びの歌」を聴いたときに,あぁこれかなぁって思ったんですよね。シンプルで直球で...っていうあの歌詞が,今の私にはすごく心地よく聴こえました。難しかったり斜に構えてたり凝ってたりする曲は,今の気分ではないから。


でもって,6人揃った「喜びの歌」を聴いたときに,もう一つ嬉しかったのは,歌声に厚みが出たことでした。もちろん,ひとつ音が増えているわけだから,厚みが出るのは当たり前といえば当たり前なんですけど,なんていうか,安定感が増した気がする。それで十分KAT-TUNらしくなった気がする。欲を言えば,仁さんのフェイクがいっぱい入ったりするとさらにKAT-TUNらしくなるのかなと思ったりしますが,まあ欲張りすぎですよね。
「喜びの歌」の曲調がKAT-TUNらしいかどうかは,この際あまり大きな問題ではないんじゃないかな〜と思っています。
どんな曲でも,彼らが自分たちらしくアレンジしたり,パフォーマンスしたりしてくれることが重要なのだと思う。亀ちゃんがメロディラインを歌って,じゅんのや上ぼがコーラスでメロディラインに厚みを出して,聖のRAPとゆっちのHBBがベースを支えていて,そして一番上に仁さんのフェイクがのっかるというのが,KAT-TUNが結成以来積み重ねてきた一つの形なわけですよね。特に,仁さんのフェイクは,彼らなりのアレンジの一番わかりやすい形であって,それがKAT-TUNらしさを生み出している一つの要因なのではないかと思っています。つまり,仁亀のツインボーカルだけがKAT-TUNらしさを生み出しているわけではないということ。


その辺のことをね,少なくとも製作サイドの方々にはわかってもらいたいんですよね。誰かだけフィーチャリングすりゃいいだろ的考え方は,そろそろやめて欲しい。政治的にはいろいろあるのかもしれないですけど,パフォーマンスだけは純粋に楽しませて欲しいな〜と切に願っています。